工業大学生のドイツ修行記

ドイツの大学に留学した工業大学生の備忘録のようなもの

Wir sind Samurai: Nr. 1

Grüß Gott!

 

日本に帰国して数週間が経ちました。生まれ育ち、慣れ親しんだ環境や風景に戻ってきて、自分がドイツにいたのは夢だったんじゃないかと錯覚するほど、時が経つ早さと環境の大きな変化を改めて実感しています。

 

 さて、改めて日本で生活し始めた私ですが、こここまでで早くも感じたことを何回かに分けて(ドイツにいた時から感じてたことも交えながら)、つらつらと書き記していこうと思います。

まぁ基本的に、海外に行ったことある人や、留学経験者の方とっては、非常に月並みで「そんなの知ってるわwww」みたいな事ばかりかもしれませんが、そうで無い人たちにとって、少しでも何か新しい発見や探究心のようなものを見出せるよう文字に起こすのが、とりあえずの今の僕だからこそできる事だと思うので、こうしてつらつら書いている次第です(ま、ただの思い上がりなのかもしれませんがねw)

 

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 さて突然ですが、みなさんは侍(あるいは武士)はまだ生きていると思いますか?

(私が小中学校の頃習った歴史の授業の話で言えば)侍が出現し始めたのは、鎌倉時代に突入する前、平安後期ごろだとされています。つまり今から大体900年くらい前(であってますかね?)。

今となってはうーんと昔のことですが、私はドイツで1年を過ごし、「侍はまだまだ生きている」と感じるようになりました。正確には「私たち日本人の中に生き続けている」ということです。

 

特に「修行精神」、「忠」、そして「恩と義理」という思想・概念が日本人を日本人たらしめるもののように感じています。

 今回は「修行精神」に着目して、相変わらず薄っぺらな知識を振りかざして、留学中の話なんかも交えて、私なりに考えていこうと思います。

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さて、まず私が留学していたミュンヘン及びバイエルン州は、敬虔なカトリックの人たちが暮らし、またその思想の基でその土地が治められてきた歴史を持ち、その色が今なお残っている側面があります。

例えば(以前も話題にしたかもしれませんが)、ミュンヘンのお店や役所などは日曜と祝日は閉まっています(飲食店も開いているものの夜だけ営業のところが多かったです)。これは、聖書に書かれた文言に由来する「安息日」に当たるのかなと思います。そして、特に信仰心が熱い方は、日曜の朝に教会で行われる礼拝に参加するわけです。

また、平日・土曜日でも飲食店や一部のお店を除いて20時になると閉店となります。閉店ギリギリにスーパーマーケットにいると、客の事情はおかまいなしに、店員が店仕舞いをおっ始めます。私が閉店間際にお肉コーナーで迷っていても、容赦無くカーテンが閉まり始めます笑

ここには、休むことに対する考え方、そして同時に働くという考え方が明らかに日本と異なることが伺えます。

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写真の奥に見えるのがミュンヘンにある一番大きな教会Frauenkirche

 

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一方で日本を見てみれば、最近メディアで騒がれてるブラック企業ですとか、過労死問題など、"頑張る"ことを強いられるケースを多々見聞きすることがあるかと思います。そこには侍たちが培った「修行精神」が息づいているのではないでしょうか?

侍たちは、初めのうちは貴族や領主に雇われ、彼らとその領地を守るものとして働き、その後江戸時代が終わるまで、日本の政治にさえも大きく影響を及ぼす存在として君臨するわけですが、ただ刀を携えてオラついていただけではありません。

彼らは、刀、弓、乗馬、柔術などのいわゆる武芸と呼ばれる、戦いのための訓練を惜しみませんでした。「そりゃ先頭集団なんだから当たり前だろ」と思う方もいるかもしれませんが、単に腕っ節が強いだけで、子煩悩な人間が政治を動かす程の力を付けられるのでしょうか(もしかしたら古来の日本では可能だったのかもしれませんが……)。そこまで修行に励むことが是とされたその背景には、「仏教」の存在も欠かせないのではないかと、私は考えます。

 

インドを起源とする仏教は、宗派にも寄るかと思いますが、「個々人が修行を惜しまないことで、人々はこの世の苦から解脱することができる」というのが基本的な思想になっていると思います。

そんな仏教は、聖徳太子がいた飛鳥時代から広がりを見せ、その影響はすでに政治にも及んでいたように思います(例えば十七条の憲法とか)。そして、それは侍が実権を握る鎌倉時代には、侍のあり方に対しても大きく影響を与え、また様々な宗派に分かれ庶民にも広がりを見せます(念仏を唱えるだけの宗派などがそれに当たるんですかね)。

また、「座禅」も仏教のある1つの宗派に由来しています。ミュンヘンで出会った中国人学生と、お互いの国の仏教に関して少し話をした時、中国人の仏教には「座禅」が浸透していないらしく、彼らは日本の「座禅」のことを知ってはいましたが、非常に珍しく思っているようでした。

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 このように古来の日本人、そして日本の政治的背景の裏には、「仏教」とそこから発展した修行に対する思想・価値観が潜んでいると、私は思います。

 

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そして古来からのこの思想が、今もなお無意識的に残り、すぐに結果が出なくとも、汗水垂らして頑張ることが美徳であるという価値観に、多かれ少なかれ結びついているように私は感じます。

しかし、一歩外の世界に出れば別の価値観・思想が存在することに、殊にこの資本主義社会というシステムに生きるからこそ、我々は気づかないといけないということを、この1年間のミュンヘンの生活の中で感じました。

 

よくよく考えてみれば、資本主義社会というのは西洋から発達した社会基盤であり、日本が明治時代に入り"西洋化"のために導入したものであります。その時から今までの中で、私たちは果たして本当に資本主義社会を生きてきたと言えるのでしょうか?

正直、資本主義社会そのものを語れる程、私は経済学を学んでいないのですが、それでも素人なりにそんなことを思ったりします。

 

もちろん、私が先に述べた「頑張ることに対する美徳観」を、私自身は完全なる悪だとは思いません。私も日本人ですから、そういった姿に胸打たれることだってあります。

 

しかし、西洋からもたらされた資本主義社会という基盤の中で、頑張ることに対する価値観が本来は相容れない物なのではないかと、私は疑問を抱いています。

 

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ちょーっと長くなりそうなので、どう相容れないかは、次回以降、今度は「忠」や「恩と義理」という考え方を交えながら、私なりの考えをアウトプットしたいと思います。

 

それではまたぁ

Tschüss!

Die Ende und der Start

Grüß Gott!

 

前回の更新からかなり間が空いてしまいました…

7月に入ってからドイツ語の試験勉強や、こちらでの研究のラストスパートがあり、それが終わるとやはり気が抜けてしまって、こうしてパソコンに向かうことが億劫になっている自分がいましたね…反省。

 

そして時はあっという間に経ち、気づけば数日後には日本に戻ることとなりました。

昨日、最後の晩餐としてOktoberfestにこちらで仲良くなった友人と足を運んできました。去年もこちらにきてすぐにOktoberfestに行ったのを、会場の中を歩きながら思い出しては、色々と思いにふけっちゃったりしました…笑

 

去年ミュンヘンに着いたとき、初めてOktoberfestに行ったとき、ミュンヘンで生活し始めたときの、ワクワクした気持ちは、正直今はもう無くなってしまっている自分がいます。それは1つの区切りだからでもあり、きっとある種のマンネリであるということも否定はできないと思います。人間というのは本当に単純な生き物であり、目的意識やモチベーションの維持というものが、ヒトが人間らしく生きるためにいかに大切かを改めて痛感します。

 

しかし、この1年を振り返ってみて、「日本を離れなければよかった…」という風には思っていないことも確かです。机に向かったり、様々な国の人々との交流をしたり、日本では決して見ることができない景色や現状を全てとは言わずとも目の当たりにしたことを通して、この世界が思っていた以上にうんと ”せまく、複雑である” ことに多少なり気づけたかのようにも感じます。

 

んー、これ以上つらつら書いても、月並みのことしか今は書けない気がするので、とりあえず帰国前の久々の更新ということでこの辺にしておきます。

ここ2か月で訪れた街のことなどはぜひ紹介したいと思っていますし、帰国してからあ改めて振り返って気づくこともあると思うので、その時にまた。

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では。

Tschüss!

Was ist Japan? Nr.2

Grüß Gott!
早いもので私のドイツでの生活も、残すところ2ヶ月ちょっととなりました。ここまで多少落ち込むこと(主に研究のせいです 苦笑)もありつつ、こっちでの生活を満喫してきたのですが、終わりが近づくにつれて、日本への恋しさが加速している自分がいます。やはり、良くも悪くもまだまだ日本離れできないようです。

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さて、多少こっちでの時間は残っているとはいえ、メインの目的である研究にしろ、その他のことにしろ、そろそろまとめの期間に入りつつあるのかなと思っております。
もちろん、残りの時間の中で、そして日本に戻ってから、さらに気づくこともあると思いますので、その際は適宜更新していくつもりでいます(なので帰国してからも、しばらくこのブログは更新されていくと思います……たぶん)

 

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ということで、研究のことは専門的な話になってしまうのでさておき、ここまでで私が気づき、私なりに考え、みなさんにお伝えしたいなーと思っていることを何回かに分けてつらつらと書いていこうと思います。もちろん、何かしらのフィードバックもいただけるととても嬉しいです!

 

今更ですがみなさんご承知の通り、私は今ドイツにいます。
そこで突然なのですが、改めて「私は今ドイツにいます。」と言われて、みなさんはどう感じるでしょうか?やはり、「遠いなぁ……」と思う方が多いでしょうか?
正直私も、日本を出る前まではそう思ってましたし、着いてからもしばらくは日本とは全く別の世界で別の時間が流れているかのように感じていました。
しかし、絶えず国籍・人種・宗教etc. を超えて人々が出入りしているこのヨーロッパという地域で過ごし、様々なことを見聞きする中で、「世界の狭さ・近さ」に気づきました。

 

もちろんその"狭さ・近さ"には、物理的・経済的・政治的…様々な尺度があり、それぞれの尺度において各国間の“距離感“は異なります。
しかし、それはきっと多くの日本人の人たちが思っている以上に狭く、近いと(勝手ではありますが)感じています。またこのことは、改めて世界に対する日本という1つの国を見たときに、その”狭さ"を印象付けると共に、日本にいた時以上に、様々な尺度における日本の各国間との"距離"は着実に縮んできていることを意識させます。
ただ、この日本の持つ"狭さ"そのもの自体は、私の中で必ずしもネガティブなイメージと言うわけではなく、むしろ歴史的な側面、地理的な側面等々をヨーロッパと比較した時に、なるべくしてなった結果なのではないかと受け止めています。
そして、その狭さがある種の安定を生じさせていると言う現実も存在していると思います。

 

ただ逆に言えば、その"狭さ"や縮んでいる"距離感"に気づかないが故に、現代の抗えない世界の流れに対して、国レベル、あるいは個人レベルで身動きが取れなくなってしまうのではないか、という私の中でのネガティブイメージは、日本にいた時以上に強くなりました。
では何が、この"狭さ"や"距離感の変化"への気づきを阻害しているのか。もちろん、複雑すぎて確固たる正解は私の中でもまだ出せませんが、私がこの約10ヶ月の短い中でも気づいた要因を少し挙げてみたいと思います。

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  • 地理的要因

少なくとも中等教育までに習う歴史レベルの話で言えば、他国からの侵略・支配やその脅威、あるいは多民族の流出入とそれに伴う衝突というものは、欧州と比較して明らかに少ないように思います。そこには海に囲まれ、どこの国とも接していないという地理的要因は、外せないように感じます。
もちろん、現在の国内で言えばアイヌ及び琉球王国への侵略・領土の拡大や、鎌倉時代、戦国時代、第二次大戦等におけるいくつかのアジア諸国との軍事的な衝突とそれに伴う領土の拡大・縮小はありますが、今、日本と呼べる土地のほとんどは、軽く1300年くらいは日本[1]なわけです。

 

一方で、私が今いるバイエルン州は、元々バイエルン王国Königreich Bayern)と呼ばれ、その土地を治める王様がいた、れっきとした1つの国でした[2]。

その王国としての統治が終わり、今のバイエルン州となったのは、ヴァイマル共和国(Weimarer Republik)の体制になった、第1次大戦後の1919年[3]。まだ100年も経っていません。それもあってか、バイエルン州の人達はドイツ人だという意識だけでなく、バイエルン人だという自負を持っている人が多く、地元愛が強いようです。ミュンヘンの街の中を歩いていても、色々なところでバイエルン州の州旗や、かつてこの土地を収めていた王様の像や肖像を目にすることが多いです。

また、単純に国の名前だけ見てもドイツ(Deutsch)という言葉が使われ始めたのは、1871年からドイツ帝国(Deutsches Keiserreich)[4]の時代からのようですし、地理的に見ても、当時は現在のポーランドなど、他の国に当たる土地がドイツ帝国の領土とされていたわけです(図1)。

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            図1. ドイツ帝国時代の領土[5]

こういった欧州における地理的な目まぐるしい変化の背景には、30年戦争などをはじめとする宗教的あるいは政治的対立が複雑に絡んではいますが、そもそも物理的に土地が接しているかどうかということも、無視することはできない大きな要因であると考えてますし、それに伴って、人々の他国に対する意識や緊張感というのも大きく差が出てきているのではないかと考えています。

 

  • 日本人が培ってきた1つの完成された形

先に挙げた地理的な要因もあってか、他国・他民族からの支配や侵略を受けてこなかった日本は、元来持つ独自の文化を継承しつつ、時にはアジアや西洋から新しいものを吸収しながら現代まで日本であり続けてきました。

その結果として今の日本は、単純に産まれて、生きて、死ぬというある種平凡なライフサイクルをベースにした観点で言えば、世界的に見てある程度の生活水準がかなり担保されているのではないかと、たかだか1年弱ですが、ここまでドイツで生活してきて実感するようになりました。

(もちろんそのようなことを言えど、日本国内でも地域間による経済的な格差が存在していることは分かっていますし、それをきちんと捉えきれていない自分がいるのも承知しておりますが、あくまでこれまでの日本での自身の生活とこちらでの生活を比較しての主観的な感覚であります。また、この先のことについても同じかどうかは分かりませんが…)

ここには、ベタな話ですが、歴史的に受け継がれてきた職人気質あるいは勤勉さ・繊細さ、あるいは対人関係が貢献していると改めて実感していて、それらによるものづくりやサービスの高いクオリティが、私たちの生活に安定感や満足感を与えているように感じます。

例えば、これもまたベタな例ですが、スーパーマーケットでのお話。

日本では商品をレジに持って行って、カゴを店員さんに渡せば、店員さんがカゴから商品を出してレジ打ちして、新しいカゴにまた商品を戻してくれますね。会計が終わったら、お客さんは商品の入った新しいカゴをもって別のテーブルに行き、買ったものを落ち着いて買い物袋に入れて、その場を後にできます。

 

一方のドイツでのお会計。こちらをご覧ください。

(特に見ていただきたいのは6分半くらいのところから)


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ドイツではまずレジにならんだら、動画の奥に見えるようなベルトコンベアに自分で会計するすべての商品を置かなければなりません。どんなに多くても基本的に全部です。

まぁ、ここまではそんなに大変ではないです。勝負はその後。

レジ打ちが始まると、店員さんはものすごい勢いで会計が終わった商品を自分の方に流してきます。そして、こちらはそのものすごい速さで流れてくる商品たちを一生懸命、空いているカゴやエコバッグに詰めていくわけです。日本にいたときのように、

「えーと、卵はここにいれてぇ、次に牛乳はここでぇ…」

などと考えている余裕はありません笑(なので、場合によってはあらかじめコンベアに商品を乗せる順番を多少考えておく必要があります)

この作業、未だに私は慣れておらず、ある程度の量を買い物するときは、必ず商品がすべてエコバッグに収まる前に、支払いの金額を言い渡され、特に週末前はたくさんの人達が買い物に来ておりレジ待ちの人も多いので、その度にあたふたしながら会計をしています(汗)

ちなみにこのシステムにはドイツ人もうんざりしている人は少なくないようです笑

「じゃぁ、もっとシステマティックにすればいいじゃんw」

とお思いの方もいるかもしれませんが、少なくともそこにはサービスを提供する側にとってそこまでする必要がないという思惑があるからで、その背後にはドイツ人が考える十分なクオリティや繊細さ、あるいは店員と客の間に作用している対人関係が、日本と異なっているということが少なからず起因しているはずです。また一方で、サービスを享受する側からしてみれば、足りない部分は自身の努力や工夫、対応で補うことを強いられていて、それを受け入れて生活しているわけです。

 

他にも例を挙げたら切りがないですが、日本のサービスや経済活動の丁寧さや、商品・サービスを提供する側が考えるあるべき姿とその実践に伴う、平均的な生活のクオリティの高さ(主に首都圏の話に限るのかもしれませんが)をいたるところで感じます。

また、日本に行ったことのあるヨーロッパ人から見ても、この様々な場所でのクオリティの高さは非常に感動するようで、何人かのドイツ人の友人は、コンビニで店員さんに元気よく「いらっしゃいませ!」と言われるだけでとても心地が良いと言っているくらいでした笑

日本人の私たちは、このクオリティの高さを当たり前のように享受していますから、何とも思わない、あるいはまだまだ低いと思っている場合もあるかもしれませんが、もう少しこの点を誇りに感じると同時に、過度なクオリティが故に時代の変化と共にボロが出始めている部分を再認識する必要があるのかもしれません。

 

以上のように、ドイツとさほど大きさの変わらない島国が、人口約1億3000万の人達(ちなみにドイツの今の人口は約8000万人)を抱えながらもここまで発展したことを考える上で、このいわゆるThe 日本的な思想や精神と、それによって完成されたこの1つの体系を今改めて見つめなおすことは非常に重要な意義があるのではないでしょうか(この辺の話も、もっと知識ためて掘り下げたいところです)。

 

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とりあえず私が考える、「日本人が世界との距離感や自国の狭さを感じられない理由」2つほど挙げてみました(非常に月並みなことしか言っていませんが…)。他にもいろいろと考えられることはあると思いますが、長くなるので、今回はこれくらいにとどめておきます。ただ、今回挙げた観点に関して、それらが必ずしも悪い影響しか与えてこなかったという風な見解をして欲しくはないです。

 

では以上のことを踏まえて、世界における日本と各国の距離感や、様々な観点における自国の広さ/狭さは、どのように変化しつつあり、それをどのように認識し、次につなげていく必要があるのでしょうか。

 

今まで、そして今なお、幸か不幸か世界が経済的にも政治的にも欧米諸国を中心に回っているという事実に、私はようやくこちらにきて気づくこととなりました。そしてその影響や恩恵を受けながら、日本もここまで様々なこと学び、吸収し、応用し、発展を遂げてきたということも、多かれ少なかれ再認識することができました。

しかし個人レベルで見たときに、その受けた影響の度合いや、欧米に対する興味・関心、得られる情報というのは、情報社会の進歩や普及などと相まって、世代間で大きな差があるのではないかということに気づきました。そしてそれが、生活の質、経済活動、政治活動、人生における幸福とは何か etc. 様々なところで大きな価値観の違いと、それに伴う社会全体での摩擦を生んでいるのではないかと考えるようになりました。

例えば働き方に関して、それぞれの世代で価値観は異なっているように感じます。

昨今の状況からして、若い人になればなるほど他の国の働き方知っている、あるいは人によっては他の国で働く可能性を見出していて、そこに先に述べたようなそれまで日本で暮らしてきた境遇や自身の将来とが相まって、より高い年齢層の人達とは明らかに異なる価値観を基盤に、働くことに対するモチベーションを持っているように感じます(この辺の話はまた別記事でしたいな考えてます)。

 

もちろんこういった、世代間における価値観のギャップは、日本に限らず他の国人達に聞いても認めていることですが、欧米諸国はあくまで、彼らが元来持つ思想をベースにした上での価値観の変化なので、日本のようにそもそもの土台が違うものの間で起きている価値観の衝突とは話が違ってくるのかもしれません。

 

少し大袈裟かもしれませんが、日本は今、明治に国を開いて以来の、大きな過渡期なのかもしれません。そしてまたその原因は、江戸末期あるいは明治初期と同じ欧米諸国を中心とした抗うことのできない世界の流れと言えるのかもしれません。

ただ、それはどちらの国の思想、文化、価値観が絶対的に良いとか悪いとか言えるような、そんな単純なものではないようにも思います。

あくまで双方の思想や文化などを、今と未来を見据えた上で改めて相対的に見直し、個人レベル、組織レベル、国レベル、様々な規模においてどう対応していくのかを、より一層考えていかないといけない時代なのではないでしょうか(まぁ、こうやって大口叩くのは簡単なんですけどね…)。例えば個人レベルで言えば、日本を去って働いたり、生涯を終えたりする選択肢だって存在するわけです。しかし、自身が生まれ育った国で染み付いた文化、多数派の価値観や精神といったものが、多かれ少なかれその選択や決断と衝突するのが常です。特に日本人は歴史的な側面等々から見て、その決断に踏み切らいない人が多いのかもしれません。

 

「世界は狭く、複雑である。」

 

この短い期間の中でも、この一言をある時から痛烈に感じるようになりました。

そして、日本に帰った後で、この言葉が自分の中でどのように変化していくのか、楽しみな部分もあります。

 

とりあえず残りのこっちでの生活の中で、今回書き連ねたことに対して、より具体的な考え方や個人レベルで取るべき行動に少しでも近づけたらなと思いながら過ごす、そんなある日の日曜日なのでした。

 

ではまた~。

Tschüss!

 

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参考文献・記事

[1]Wikipedia日本』 2017年7月9日 閲覧

[2]Wikipediaバイエルン王国』 2017年7月9日 閲覧

[3]Wikipediaバイエルン州』 2017年7月9日 閲覧

[4]Wikipediaドイツ帝国』 2017年7月9日 閲覧

[5]https://volks-bundesrath.info/ 2017年7月9日 閲覧

[6]和辻 哲郎 著『風土ー人間的考察(電子書籍版)』 岩波文庫

P.S. 毎回、参考がネット記事ばかりで説得力ないように感じるので、少しずつでもきちんとした知識をつけていきたいものです

Einwanderer, Flüchtling

Grüß Gott!

 

前回の記事を書いた日から、不安定な天気もだいぶ解消されてきて、近所では外にイスやテーブル、グリルセットを持ち出してBBQをしている人たちをよく見かけるようになりました。

ドイツ人の春、夏の風物詩の1つといえばBBQのようで、スーパーでも小さなアルミの箱に炭がゴロゴロと入った簡易セットなんかが売られています。ただ、日本のように海辺で潮風を感じながらBBQができないのは、私としては少し残念に思います笑

 

さて、そんな話とは打って変わりますが、今回発信したいなと思っているのが、「移民・難民」の話です。ドイツに来て暮らすにあたって、このことについて多かれ少なかれ触れないわけにはいかないと、留学当初から思っておりました。

とは言っても、私はそういう分野について普段から学んでいる人間でもなければ、そもそも生活環境が抜群に良い国日本で生まれ育ち、たかだか1年きちんと保障された身分でドイツで暮らしている人間ですから、あまり込み入った話や当事者サイドに寄り添った話ができるわけではありません…(なので、情報や見解に大きな誤り等がある場合は、ぜひご指摘いただきたいです)

それでも、日本よりも多くの国籍、人種、文化圏の人達が共に生活をしている国ここドイツ、そしていくつかのヨーロッパ諸国の中で私が見聞きしてきたことも交えながら、みなさんが、そして自分自身でさえも、何かしら考えるきっかけにできたら良いなと思いこの話題について書いていこうと思います。

 

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Osternurlaub Nr. 2: Köln

Grüß Gott!

 

授業が始まったり、研究に没頭してたりで、前回からだいぶ間が空いてしまいました…

そんなこんなで、5月に入りました!日本は梅雨に入る前だというのに、早くも暑い日が続いているようですね。

一方のミュンヘンは、この時期は雨が降ったり止んだり、、、1日どんよりしている日が数日続くことも珍しくありません。南にアルプス山脈を代表する山々が連なっているため、そのような気候になっているとか、なっていないとか(雑)

これには私の周りの他のヨーロッパ諸国からきている人たち、特にドイツ以南出身の人たちはうんざりしているようです笑 

 

さて今更ですが、せっかくなのでさらっと前回の旅行記その2をお伝えしていきたいと思います。

ちなみにその1は以下から飛べます〜

himazin-deutschland.hatenablog.com

コメントをくださった方もいらっしゃって、こんな半分くらい私の日記みたいなブログでも読んでいただけてること、大変嬉しく思います。ありがとうございます。

 

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ということで、第2の目的地ケルンに到着です(恒例の駅舎の撮影をしそびれる痛恨のミス)。

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復活祭の時期ということで、写真の奥にはイースターエッグを模した大きなフラワーアレンジメントが鎮座しておりますね。

(そういえば話はそれますが、アーヘンのホテルに泊まった時、朝何気なくテレビをつけたら、工場で大量の卵が機械でペイントされ、イースターエッグになって出荷されていく様子が映ってて非常に印象的でした笑)

 

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さて、まずご紹介しますはケルンの代名詞でもある大聖堂です。ベッタベタのレポートですね()

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写真からお分かりの通りとても大きいですね(しょぼいコメント) 地上にいる人たちと比べていただいたり、左上の塔が写真に入り切っていないのを見ていただければなおのことその大きさがわかるかと思います(伝われ)。

復活祭の時期ですし、ドイツでも有数の大きなカトリック教会ということで、何か特別なことをやっているのかと期待して行ってみたのですが、そんなことは全然なく、普通に観光客がごった返しているだけでした……(もちろんその中でも、復活祭であることを理由にきちんと祈りを捧げにきた方々がいたのは確かです)

私のリサーチが甘かったのもありますが、やはりだいぶ観光地として開けているところなんだなという印象でした。大聖堂はあまり取り上げても、ありきたりなのでこれくらいにします()

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それから、ドイツに来る前からケルンに行ったら必ず飲みたいと思っていたのがこちら。

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はい、私の大好きなビールです笑 ただ、ケルンのビールはミュンヘンのビールと味やスタイルが違います。

ケルンのビールはKölsch (ケルシュ)と呼ばれていて、苦みや刺激が弱く、すっきりと飲みやすいのが特徴で、また写真のような200mlくらいの小さなグラスに注がれて提供されます(一方ミュンヘンの人たちは1Lのグラスでビールを飲むのであった……)。

またビアホールで飲む場合は、グラスが空くとすぐに店員さんがケルシュの入った新しいグラスを持ってきて交換してくれます。その際、コースターに何杯目なのか印がつけられます。もう飲まない場合はコースターをグラスの上に置くのがルールとのことです。あいにくビアホールは連休ということもあり、どこもいっぱいだったので、実際にこれを体験できなかったのは残念でした……

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ドイツのビールは、各地域でブランドや成り立ちが異なり、実はそういったところでも突き詰めてみると、歴史を感じたりできるんですね(例えばミュンヘンだと、元々は教会が醸造していたブランドなんかもあったりします)

 

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ここからは割と偶然見つけて訪れた場所をいくつか

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こちらは、前回の記事でも少し説明したシナゴーグ(ユダヤ教の教会)です。今回こそは少し中をのぞけるかなと思って訪ねてみたのですが、復活祭期間の日曜の朝ということで、礼拝がちょうど始まる時間で中に入ることはできませんでした。ですが、写真を撮ったり建物を外から眺めている間も、たくさんの人たちが中に続々と入っていくのを見て、ここでも現地の人々の暮らしぶりを多少ですが垣間見ることができました。

ちなみに・・・

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写真の右側に停車している車、みなさんおわかりでしょうか。これ、パトカーなんですね。最初前を通ったときは、「こんな木陰で停まっているなんて、取り締まりしている日本の警察かよw」とか思ってしまったのですが、違いますね。復活祭の時期を狙ってシナゴーグに万が一のことがないよう警備しているんですね。まだまだ、自分のそういった面での知識や情勢に対する認識が甘いなと痛感する瞬間でした。

 

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それからケルンにはとても大きなモスクもありました。

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こちらも閉まっていて中に入ることはできませんでしたが、かなり大きく立派なものでした。きっとそれなりに昔からイスラム教の信者の方々がここで暮らしているんだと思います。

ヨーロッパのみならず、日本にいても、宗教的な建物を観光で訪れる時、わけも分からず「わぁ~、すご~い、きれ~い」とか言って、写真をパシャパシャ取って、満足して去ってしまいがちですが、やはりその建物や内部の装飾が宗教的にどのような意味合いや立ち位置であるのかをよく理解し、その土地で”過去”にどういう宗教的な対立や動きがあったのか(キリスト教1つとってもいくつかの宗派がありますからね)や、異なる宗教観や人々の流れが今どのようにバランスを取って成り立っているのかを知ることは、”今”の世界(日本も含む)のことを深く考えるためには重要だなと、一層感じております。

 

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それからこんな所もたまたま見つけました。

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『広島‐長崎公園』と名づけられた公園です。看板の下段に小さく、「8月6日広島に、8月9日長崎に落とされた原子爆弾は、第二次世界大戦における非人道的終結だった。」と書かれています。どういう経緯でこの名前がこの公園に付けられたのかは正直未だわかっていないのですが、少なくとも広島、長崎に落とされた原爆の追悼の念がこもっていることは確かだと思います。当たり前のように小中学生のころに、「戦争中に日本に原子爆弾が落とされました。」と、正直なんの実感もわかないまま教えられたわけですが、お恥ずかしながら広島も長崎もいまだ訪れたことがない自分がいて、自分の国の歴史(ましてや近現代の話)の見直しが足らないなと感じました。(一方でただ単に”知る”だけで終わりにしてしまうのも情けない話だなとも思ったりもしますが…)

 

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それから、私の留学の1つの目的でもあり、たびたびこのブログでも取り上げているドイツの戦争関連の話。旅の最終日、月曜日に博物館めぐりをしようとしたものの、月曜日は一般的に博物館・美術館が閉まっていることをすっかり忘れていて、一か八かで訪れて中に入れた博物館がこちら。

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”NS Dokumentationzentrum” こちらは第二次大戦前から後にかけてのナチスと台頭と敗戦までに関する資料が展示してあります。実はこの博物館、ミュンヘンにもありまして、すでにそちらも訪れております。ただこちらでは、フランスとの国境近くにあり、ナチスにとって西側に攻め込むための要とされてきたケルンにおいて、どういう政治的・軍事的な動きがあったのかというのを主に紹介しておりました。

また、この建物も当時のナチス秘密国家警察(Geheime Staatspolizei)、通称ゲシュタポ(Gestapo)が独房として使用していた建物で、内部はコンクリートがむき出しで、通路も狭く、薄暗い感じで、なんとも異様な雰囲気でした。

展示されている具体的な内容としては、ケルンとその周辺におけるナチス勢力拡大の流れ、Hitlerjugendと呼ばれるナチスによる青少年教育に対する政策、強制労働やユダヤ人の迫害、戦争で倒壊したケルンの街並み、などが当時の写真や資料で詳しく説明されていました(ただこういう時にドイツ語が堪能じゃないのが本当に悔やまれます)。

今までの記事でも見てきたように、本当にドイツにあるいたる街(私が訪れてきた場所がそうなのかもしれませんが)に戦時中の出来事に関するものが多くみられます。いかにナチスによる政治的・軍事的政策やプロパガンダが徹底してドイツ全土に広がっていったのかというのを、思い知らされますね。

 

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はい、今回もざっくりですが、短い時間の中でケルンで見つけた印象深いものをピックアップしてみました。他にも調べれば今回私が訪れることができなかった有名な博物館や史跡などがあると思いますので、興味ある方はぜひ調べてみて、もし面白そうなものがあれば教えていただけると、インタラクションが成立して、これを書いている私としても嬉しいです。

 

たぶん、次回は時間見つけてくそまじめなこと書くつもりです。あんまりまとまった文章になる気はしませんが…

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ではでは

Tschüss!

Osternurlaub Nr. 1: Aachen

Grüs Gott!


4月も中旬を過ぎ、ドイツで咲いていた桜たちもすっかり緑色になってしまいました。
そんなドイツは14日から17日までの4日間は、復活祭(英語だとEaster, ドイツ語だとOstern: 復活祭が何か知らない方はぜひググってみてください)の連休で、例によって研究室が閉まってしまうということで、思い切って遠出をすることに。


そんな今回の旅の最初の目的地は、ドイツ・オランダ・ベルギーの3つの国が交わる地点に近い町Aachen(アーヘン)。ここには日本人の友人が留学していることもあって、ドイツに来た当初から訪れたいと思っていたところでした。
ミュンヘンから約560km、電車に揺られることおよそ6時間。アーヘン駅に着きました。

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この町は古代ローマ帝国時代から、温泉地として発展して来た歴史を持っており、今もその名残で温水プールとドイツ式サウナを兼ね備えたスパ(後ほどご紹介)が有名とのこと。その証拠として町の中に温泉が地下を流れているところがあります。

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少し分かりづらいですがマンホールから湯気が出ており、日本の温泉地でも漂っている硫黄の匂いがこのあたり一帯を包んでいました。

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またこの町にはユネスコ世界文化遺産の1つである、アーヘン大聖堂が存在しています。この大聖堂は8世紀後半から建設が始まって、少しづつ大きくなって今の形になっているとのこと。
16時ごろに大聖堂を訪ねてみると、中では復活祭のための礼拝を行なっておりそれが終わってから一般開放とのことで、少し町をぶらついてから再度大聖堂の前に。

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礼拝が終わると中からたくさんのクリスチャンの方々が出てきました。日本だとあまりなじみのない宗教的な祝日なこともあり、現場でのリアルを多少なりとも目の当たりにすることができ、訪れた甲斐がありました。
(本当はこのタイミングなので礼拝を拝見させていただきたいとも少し思っていたのですが、さすがにそれは難しそうだったので潔く諦めました。そもそも観光のための行事ではないのは、重々承知してましたし、毎回教会を訪ねる時は、教会関係者の方や、中でお祈りされている信者の方に失礼にならないよう気をつけているつもりです)

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町の散策も終わり、いよいよ楽しみにしていたスパ "Carolus Thermen"へ。

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温水プールは水着着用で男女共用。話には聞いてましたが、お湯の温度がとにかくぬるい笑 1番暖かいものでも37,38度くらいだったと思います。「久々のお風呂だ!」と楽しみにしていたので、正直少し悲しかったでしたがこれも異文化体験ということで。一方それでもヨーロッパ人の皆さんは気持ち良さそうにしておりました。


ただ特筆すべきはサウナです!ドイツではサウナは男女共用で、何も着用しないのが一般的!(女性専用のものもありましたが、他のサウナ文化のある欧州諸国でもこれが一般的のようです)
これも事前に話は聞いており、お風呂・サウナ文化を持つ日本人としては一度は経験せねばと思っていたのですが、いざサウナコーナーに行くと勝手が分からず挙動不審に笑 シャワー室から出てきたドイツ人男性(もちろん全裸)に勝手を尋ねてざっくりと説明してもらい何とか事なきを得ました。

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サウナコーナーの全体像は写真の通り(施設パンフレットより)

サウナの小部屋に入るまでのスペースは基本的にみなさんタオルを巻いて歩いていますが、小部屋に入ると躊躇することなくタオルを取って、日本でもおなじみの木でできた段差に腰掛けます。このとき座るところを汗で汚さないようにタオルを敷いてから座るのがマナーです。

小部屋の中は少し薄暗いのですが、それでも見えるものは見えます笑 しかし、同じ空間にいる人全員がそのような格好で淡々と暑さに耐えているのを見ると、人間不思議と何も感じないものです。

しばらくすると、スタッフの方がハーブエッセンスの入った水を持って小部屋に入ってきて、サウナの説明をしてくれます(ドイツ語なので全然分からなかったですが・・・)。説明が終わると持ってきた水をピシャリとサウナストーンにまいて蒸気を発生させ、持っているバスタオルでお客さん全員に熱波をかけてくれます。これがそこそこ熱いのですが、ハーブの香りと相まってなかなか心地良いのです!

上記以外にも異なる種類のサウナがいくつかあり、地図の右上に見えるプールでは、サウナ後にシャワーで汗を流した上で、クールダウンがてら裸で泳いでいる人たちの姿もありました笑 サウナコーナーにアジア人は私1人でしたが、西洋人の方でもタオルを取ってサウナに入るのに抵抗がある方は少なからずいるようで、タオルを巻いたまま利用している方もいましたので、必ずしもタオルを取って入らないといけないというわけではないようです。参考としてドイツ人の方々がサウナの入り方についてどう思っているのかの記事(英語)を以前見つけたので貼っておきます。

www.thelocal.de

 

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さてここからは、もう少し真面目なトピック。

今までもいくつかの記事の中で、ドイツの戦争やナチスに関する歴史について取り上げてきましたが、今回も町の中でいくつか関連のあるものを見つけてきました。

 

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こちらはアーヘンの市庁舎。この建物も14世紀頃に建てられたものでかなり年期が入っています。そんな建物の壁にこんなものが。

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"Wege gegen das Vergessen(Ways against forgetting)"と書かれたこの記念碑にはどうやら、ナチスがアーヘンをはじめとする多くの都市で、共産主義者などのナチスに敵対する政治的勢力を弾圧し政治的権力を掌握したことの説明と、そのことを忘れず未来に伝えていくことへの誓いが記されているようです(Google翻訳ありがとう)。

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またこちらは、町の中心から少し外れたところにある教会なのですが、この教会に仕えていた若い助任司祭が当時のナチスの親衛隊SS(Schutzstaffel)に抵抗したことで、ミュンヘンにあるダッハウ強制収容所に連れて行かれたという経緯が記してありました。

(以前ダッハウ強制収容所を訪れた際の記事は以下へどうぞ)

himazin-deutschland.hatenablog.com

それから、町の地図を眺めているとSynagogenplaz(シナゴーグ広場)という場所を偶然にも発見。シナゴーグというのはユダヤ教の教会のこと。日本人的発想だと、教会というとキリスト教の教会をイメージしがちということもあり、ぜひ違いを見てみたいと思い、足を運んでみることに。

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ただそこあったのは、シナゴーグが"かつて建っていた"ということを示すモニュメントだけでした・・・

ご存知の通りナチス国策としてユダヤ人の迫害を行い、ドイツ国内にあるシナゴーグの破壊をも多く行ってきました。ここアーヘンもその対象となり、ここに住んでいたユダヤ人の人たちが宗教的・民族的な迫害を受けたという歴史が残されていました。

 

このように、今のドイツが過去を顧みて民主主義がどうあるべきかを強調し、また当時ナチスのやり方に否を呈した人たちやナチスから迫害を受けた人たちの存在を未来に残そうという意識が垣間見れます。(これに関して色々と思うところもあるのですが、長くなるのともう少し知識や考えをまとめてからにしたいので、また別の機会に)

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長くなりましたが、もう1つだけ町で見かけた興味深いものが。

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日本人の方(このブログを読んでくださっているほぼ全員がそうだと思いますが)は、このマークを見ると「あっ・・・!」と思ってしまう方も少なくないのではないでしょうか?

お分かりの方もいるかもしれませんが、これは原発反対を表明するステッカーです。このマークが町中をあるいていると、様々なお店や民家、はたまたギムナジウム(ドイツの中等教育機関)にも貼られていました。

すでに原子力開発撤廃を進めているはずのドイツで、なぜこのマークがと思い気になって調べたところ、アーヘンから60,70km離れたところにベルギー保有のTihangeと呼ばれる原発があるそうで、そこでかつて構造的な欠陥が見つかったこともあり、近くに住むアーヘン市民にとって不安の種となっているようです。

また、日本の東日本大震災による福島原発の事故が、このTihange原発のリスク調査のために引き合いに出されるケース(以下参照 ドイツ語)もあるようで、私たちの国が今なお直面している問題が不幸にも世界を引き付けてしまっていることを思い知らされます。

www1.wdr.de

しかし、ベルギーサイドの事情も少しですが調べてみると、もともとエネルギー資源の乏しい国であるということから原子力開発に頼ってきたという経緯などもあるようで、今ではエネルギー供給の大部分を原子力が占めているようです。となると現実的に考えて、具体的な代替案もなしにいきなり全部止めるというわけにもいかないわけですね・・・

この件に関しても、これ以上は長くなりそうなのと欧州での原子力開発事情をそこまでちゃんと把握しているわけではないので、あまり深入りしませんが(昨今非常にホットな話題なので、誤ったこと言及しないよう避けてるのは正直否定しません)、単純にこちらの事情を日本に丸々当てはめるというわけにもいかないと思いますし、逆に私たちの国のエネルギー開発の今をきちんと理解したうえで、未来をどうするかを考えないといけないなぁと、ハッと気づかされた、そんな一幕でした。まだまだ知るべきこと、考えるべきことは尽きないですね。

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他にもいくつかアーヘンネタはあるのですが、今回はとりあえずこんな感じ。

次回はアーヘンを後にして訪れたケルンでの様子をお伝えしたいと思います。

 

最近、このブログが単なる旅行記になってきている気がしてならないのですが、できるだけ真面目なことも混ぜていこうと努めてますので、その辺少なからず感じてもらえると嬉しいです(汗)

 

ではまたぁ

Tschüss!

Faszinerende Stadt, Zürich

Grüß Gott!

 

4月に入りましたね!ミュンヘンサマータイムに突入し、気温もぐんぐん上がっていて、冬場隠れていたお日様がさんさんと降り注いでおります。

広場や公園には、この気候を待っていましたといわんばかりのたくさんの人、人、人。みんな、芝生の上やベンチに座り込んで、日を浴びながらのんびり過ごしています。

 

さて、そんな春の陽気に突入する少し前のこと、前回のブログでもちょろっとお話したとおり、スイスはチューリッヒに1泊2日で足を運んできましたので、少し紹介したいと思います。

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こちらはチューリッヒ中央駅。石造りの駅舎がかっこいいですね。1日目は生憎の天気で小雨がパラパラと降っていましたが、ヨーロッパの人たちはその程度では傘を差さないのをよく見ます笑 みんな、上着についているフードをかぶったりするくらいで、あまり気にせずすたすた街を歩いています。

 

Eidgenössische Technische Hochschule Zürich

さて着いてすぐ、真っ先に一番訪れたかった場所へ。

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目的地は、中央駅のあるところから坂をしばらく登ったところにあります。その坂の上と麓を写真に写っている小さなケーブルカーが走っていたので乗ることに。反対車線から下ってくる電車の先頭では、小さな男の子がお父さんに抱えられて景色を眺めていました笑

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ということで、目的地到着!こちらは、世界でも優秀な科学者を輩出し、理工系学術会の中でもトップを走っているスイスの大学。スイス連邦工科大学チューリッヒ(Eidgenössische Technische Hochschule Zürich)です。この大学はあの天才物理学者アインシュタインの母校でもあります!

私は留学を考えた当初は、ただただそのネームバリューに引かれ、この大学で勉強したいと考えていました笑 ですが、諸々の事情でこちらに留学することはかなわなかったので、自分の中で憧れのある大学のなっていたのです。憧れの大学を拝めただけでも、欧州にきて訪れたかったところに行けたということで満足です。

 

 FIFA World Football Museum

その後は時間が限られている中でいける所を吟味し、こちらの博物館に。

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こちら、FIFA(国際サッカー連盟)が運営するFIFA World Football 博物館。ここの展示は、

  1. サッカー及びFIFAの歴史
  2. 男女ワールドカップの歴史
  3. サッカーを通した国際的・社会的影響の紹介

の3つに別れています。過去のユニフォームやシューズ、今までのワールドカップのデータなど、サッカー好きにはたまらない史料や展示がたくさんあったので、サッカーLOVEな方はぜひ足を運んでみるといいと思います。ただ、入場料が学生でも18フラン(約2000円)しますので、ご注意くださいw

スポーツバーも併設されておりました。大きなスクリーンの前でたくさんの人たちがお昼過ぎからお酒を片手にサッカー観戦を楽しんでいました。

 ちなみにチューリッヒのみならず、スイスは多くの国際団体・機関の本部が存在していることでも有名ですね。”永世中立国”だということが大きいとはよく言われますが、こういう側面からもその国のことを知ることはできると思います。ただ、今回の滞在だけではあまり多く語れないので、とりあえず今回は保留で。

 

Bank/SIX Swiss Exchange

それから何と言ってもチューリッヒは、世界屈指の金融街であります。確かに、街を歩いていても、銀行の大きな建物があちこちで目立っていました。

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たまたま見かけたこちらの建物。入り口のところにBANKと書かれていました。今も銀行として機能しているのかまでは分かりませんが、それなりに昔からここに建っているようでした。

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こちらは証券取引所(SIX Swiss Exchange)。週末だったので閉まっていましたが、かなりの大きさ。よく思えば日本にいたときはこういうところに訪れたことがないなぁと思ったので、日本に戻ったら見学とかできるならしてみようかな。

 

Natur/Stadt

スイスといえばアルプス山脈をはじめとする豊かな自然!私もチューリッヒに行くと決めたときに、連峰の絶景を期待していたのですが、地理に弱い私は、チューリッヒからいわゆるThe 山までは少し距離があることに直前まで気づきませんでした()

それだと街の中をあまり見れないということで、山は次回訪れるときに回すことに。それでもミュンヘンとは異なる自然体系が見られた気がします。

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こちら、一見なんてことない街中の写真なのですが、写真右側に移っている様な、しだれた木をミュンヘンでは見てないなと思いパシャり(私の散策不足の可能性は大いにありますが・・・)。以前、このブログにいただいたコメントの中で和辻哲郎の『風土』を薦めていただき読んだこともあり、こういった自然や気候から見た国や民族の多様性に少し目を向けたりもしています。

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それからこちら、Zürichsee(チューリッヒ湖)。水がある街は日本人的にはやはり落ち着きますね笑 さて、この対岸に目を向けてみますと・・・

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こんな感じで、傾斜にたくさんの建物が立ち並んでいますね。ミュンヘンとは圧倒的に地形が違うなと実感しました。

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実際街中を歩くと、写真のように傾斜になっていて、石畳と相まって長時間荷物をしょって散策をするのは、運動をめっきりしなくってしまった私にはかなりハードでした・・・

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こちらは街の教会にある塔の上からの写真。ミュンヘンよりも、屋根の色が暗いなという印象でした。こういう建築的な微妙な違いも、疎いながらも面白いなぁと思ったりします。

 

Landesmuseum Zürich

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最後にご紹介したいのが、Landesmuseum Zürich(スイス国立博物館)。スイスに関する様々な史料やコレクションが展示されている大きな博物館です。スイスの基本的なことを学ぶにはとても良いところだと思います。展示分野は多岐にわたり、

  • 建国・政治の歴史
  • 山脈
  • 移民関連
  • 金融
  • 工業・工芸
  • 宗教
  • 狩猟時代の資料

などです。山関連の展示では、アルプスの少女ハイジの原作本の隣に、我らが日本アニメのセル画が展示してありました笑

 

ざっくりとですが、今回のチューリッヒでの様子はこんな感じ。次はぜひ山にトライしたいなぁと思います。

他にも細かいエピソードはありますが、それはまた機会があれば書きたいと思います。

 

ではでは。

Tschüss!