元工業大学生のドイツ修行記

ドイツの大学に留学した元工業大学生の備忘録のようなもの

Was ist Japan? Nr.2

Grüß Gott!
早いもので私のドイツでの生活も、残すところ2ヶ月ちょっととなりました。ここまで多少落ち込むこと(主に研究のせいです 苦笑)もありつつ、こっちでの生活を満喫してきたのですが、終わりが近づくにつれて、日本への恋しさが加速している自分がいます。やはり、良くも悪くもまだまだ日本離れできないようです。

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さて、多少こっちでの時間は残っているとはいえ、メインの目的である研究にしろ、その他のことにしろ、そろそろまとめの期間に入りつつあるのかなと思っております。
もちろん、残りの時間の中で、そして日本に戻ってから、さらに気づくこともあると思いますので、その際は適宜更新していくつもりでいます(なので帰国してからも、しばらくこのブログは更新されていくと思います……たぶん)

 

 


ということで、研究のことは専門的な話になってしまうのでさておき、ここまでで私が気づき、私なりに考え、みなさんにお伝えしたいなーと思っていることを何回かに分けてつらつらと書いていこうと思います。もちろん、何かしらのフィードバックもいただけるととても嬉しいです!

 

今更ですがみなさんご承知の通り、私は今ドイツにいます。
そこで突然なのですが、改めて「私は今ドイツにいます。」と言われて、みなさんはどう感じるでしょうか?やはり、「遠いなぁ……」と思う方が多いでしょうか?
正直私も、日本を出る前まではそう思ってましたし、着いてからもしばらくは日本とは全く別の世界で別の時間が流れているかのように感じていました。
しかし、絶えず国籍・人種・宗教etc. を超えて人々が出入りしているこのヨーロッパという地域で過ごし、様々なことを見聞きする中で、「世界の狭さ・近さ」に気づきました。

 

もちろんその"狭さ・近さ"には、物理的・経済的・政治的…様々な尺度があり、それぞれの尺度において各国間の“距離感“は異なります。
しかし、それはきっと多くの日本人の人たちが思っている以上に狭く、近いと(勝手ではありますが)感じています。またこのことは、改めて世界に対する日本という1つの国を見たときに、その”狭さ"を印象付けると共に、日本にいた時以上に、様々な尺度における日本の各国間との"距離"は着実に縮んできていることを意識させます。
ただ、この日本の持つ"狭さ"そのもの自体は、私の中で必ずしもネガティブなイメージと言うわけではなく、むしろ歴史的な側面、地理的な側面等々をヨーロッパと比較した時に、なるべくしてなった結果なのではないかと受け止めています。
そして、その狭さがある種の安定を生じさせていると言う現実も存在していると思います。

 

ただ逆に言えば、その"狭さ"や縮んでいる"距離感"に気づかないが故に、現代の抗えない世界の流れに対して、国レベル、あるいは個人レベルで身動きが取れなくなってしまうのではないか、という私の中でのネガティブイメージは、日本にいた時以上に強くなりました。
では何が、この"狭さ"や"距離感の変化"への気づきを阻害しているのか。もちろん、複雑すぎて確固たる正解は私の中でもまだ出せませんが、私がこの約10ヶ月の短い中でも気づいた要因を少し挙げてみたいと思います。

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  • 地理的要因

少なくとも中等教育までに習う歴史レベルの話で言えば、他国からの侵略・支配やその脅威、あるいは多民族の流出入とそれに伴う衝突というものは、欧州と比較して明らかに少ないように思います。そこには海に囲まれ、どこの国とも接していないという地理的要因は、外せないように感じます。
もちろん、現在の国内で言えばアイヌ及び琉球王国への侵略・領土の拡大や、鎌倉時代、戦国時代、第二次大戦等におけるいくつかのアジア諸国との軍事的な衝突とそれに伴う領土の拡大・縮小はありますが、今、日本と呼べる土地のほとんどは、軽く1300年くらいは日本[1]なわけです。

 

一方で、私が今いるバイエルン州は、元々バイエルン王国Königreich Bayern)と呼ばれ、その土地を治める王様がいた、れっきとした1つの国でした[2]。

その王国としての統治が終わり、今のバイエルン州となったのは、ヴァイマル共和国(Weimarer Republik)の体制になった、第1次大戦後の1919年[3]。まだ100年も経っていません。それもあってか、バイエルン州の人達はドイツ人だという意識だけでなく、バイエルン人だという自負を持っている人が多く、地元愛が強いようです。ミュンヘンの街の中を歩いていても、色々なところでバイエルン州の州旗や、かつてこの土地を収めていた王様の像や肖像を目にすることが多いです。

また、単純に国の名前だけ見てもドイツ(Deutsch)という言葉が使われ始めたのは、1871年からドイツ帝国(Deutsches Keiserreich)[4]の時代からのようですし、地理的に見ても、当時は現在のポーランドなど、他の国に当たる土地がドイツ帝国の領土とされていたわけです(図1)。

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            図1. ドイツ帝国時代の領土[5]

こういった欧州における地理的な目まぐるしい変化の背景には、30年戦争などをはじめとする宗教的あるいは政治的対立が複雑に絡んではいますが、そもそも物理的に土地が接しているかどうかということも、無視することはできない大きな要因であると考えてますし、それに伴って、人々の他国に対する意識や緊張感というのも大きく差が出てきているのではないかと考えています。

 

  • 日本人が培ってきた1つの完成された形

先に挙げた地理的な要因もあってか、他国・他民族からの支配や侵略を受けてこなかった日本は、元来持つ独自の文化を継承しつつ、時にはアジアや西洋から新しいものを吸収しながら現代まで日本であり続けてきました。

その結果として今の日本は、単純に産まれて、生きて、死ぬというある種平凡なライフサイクルをベースにした観点で言えば、世界的に見てある程度の生活水準がかなり担保されているのではないかと、たかだか1年弱ですが、ここまでドイツで生活してきて実感するようになりました。

(もちろんそのようなことを言えど、日本国内でも地域間による経済的な格差が存在していることは分かっていますし、それをきちんと捉えきれていない自分がいるのも承知しておりますが、あくまでこれまでの日本での自身の生活とこちらでの生活を比較しての主観的な感覚であります。また、この先のことについても同じかどうかは分かりませんが…)

ここには、ベタな話ですが、歴史的に受け継がれてきた職人気質あるいは勤勉さ・繊細さ、あるいは対人関係が貢献していると改めて実感していて、それらによるものづくりやサービスの高いクオリティが、私たちの生活に安定感や満足感を与えているように感じます。

例えば、これもまたベタな例ですが、スーパーマーケットでのお話。

日本では商品をレジに持って行って、カゴを店員さんに渡せば、店員さんがカゴから商品を出してレジ打ちして、新しいカゴにまた商品を戻してくれますね。会計が終わったら、お客さんは商品の入った新しいカゴをもって別のテーブルに行き、買ったものを落ち着いて買い物袋に入れて、その場を後にできます。

 

一方のドイツでのお会計。こちらをご覧ください。

(特に見ていただきたいのは6分半くらいのところから)


Shopping in GERMANY | BEST GROCERY Deals!

ドイツではまずレジにならんだら、動画の奥に見えるようなベルトコンベアに自分で会計するすべての商品を置かなければなりません。どんなに多くても基本的に全部です。

まぁ、ここまではそんなに大変ではないです。勝負はその後。

レジ打ちが始まると、店員さんはものすごい勢いで会計が終わった商品を自分の方に流してきます。そして、こちらはそのものすごい速さで流れてくる商品たちを一生懸命、空いているカゴやエコバッグに詰めていくわけです。日本にいたときのように、

「えーと、卵はここにいれてぇ、次に牛乳はここでぇ…」

などと考えている余裕はありません笑(なので、場合によってはあらかじめコンベアに商品を乗せる順番を多少考えておく必要があります)

この作業、未だに私は慣れておらず、ある程度の量を買い物するときは、必ず商品がすべてエコバッグに収まる前に、支払いの金額を言い渡され、特に週末前はたくさんの人達が買い物に来ておりレジ待ちの人も多いので、その度にあたふたしながら会計をしています(汗)

ちなみにこのシステムにはドイツ人もうんざりしている人は少なくないようです笑

「じゃぁ、もっとシステマティックにすればいいじゃんw」

とお思いの方もいるかもしれませんが、少なくともそこにはサービスを提供する側にとってそこまでする必要がないという思惑があるからで、その背後にはドイツ人が考える十分なクオリティや繊細さ、あるいは店員と客の間に作用している対人関係が、日本と異なっているということが少なからず起因しているはずです。また一方で、サービスを享受する側からしてみれば、足りない部分は自身の努力や工夫、対応で補うことを強いられていて、それを受け入れて生活しているわけです。

 

他にも例を挙げたら切りがないですが、日本のサービスや経済活動の丁寧さや、商品・サービスを提供する側が考えるあるべき姿とその実践に伴う、平均的な生活のクオリティの高さ(主に首都圏の話に限るのかもしれませんが)をいたるところで感じます。

また、日本に行ったことのあるヨーロッパ人から見ても、この様々な場所でのクオリティの高さは非常に感動するようで、何人かのドイツ人の友人は、コンビニで店員さんに元気よく「いらっしゃいませ!」と言われるだけでとても心地が良いと言っているくらいでした笑

日本人の私たちは、このクオリティの高さを当たり前のように享受していますから、何とも思わない、あるいはまだまだ低いと思っている場合もあるかもしれませんが、もう少しこの点を誇りに感じると同時に、過度なクオリティが故に時代の変化と共にボロが出始めている部分を再認識する必要があるのかもしれません。

 

以上のように、ドイツとさほど大きさの変わらない島国が、人口約1億3000万の人達(ちなみにドイツの今の人口は約8000万人)を抱えながらもここまで発展したことを考える上で、このいわゆるThe 日本的な思想や精神と、それによって完成されたこの1つの体系を今改めて見つめなおすことは非常に重要な意義があるのではないでしょうか(この辺の話も、もっと知識ためて掘り下げたいところです)。

 

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とりあえず私が考える、「日本人が世界との距離感や自国の狭さを感じられない理由」2つほど挙げてみました(非常に月並みなことしか言っていませんが…)。他にもいろいろと考えられることはあると思いますが、長くなるので、今回はこれくらいにとどめておきます。ただ、今回挙げた観点に関して、それらが必ずしも悪い影響しか与えてこなかったという風な見解をして欲しくはないです。

 

では以上のことを踏まえて、世界における日本と各国の距離感や、様々な観点における自国の広さ/狭さは、どのように変化しつつあり、それをどのように認識し、次につなげていく必要があるのでしょうか。

 

今まで、そして今なお、幸か不幸か世界が経済的にも政治的にも欧米諸国を中心に回っているという事実に、私はようやくこちらにきて気づくこととなりました。そしてその影響や恩恵を受けながら、日本もここまで様々なこと学び、吸収し、応用し、発展を遂げてきたということも、多かれ少なかれ再認識することができました。

しかし個人レベルで見たときに、その受けた影響の度合いや、欧米に対する興味・関心、得られる情報というのは、情報社会の進歩や普及などと相まって、世代間で大きな差があるのではないかということに気づきました。そしてそれが、生活の質、経済活動、政治活動、人生における幸福とは何か etc. 様々なところで大きな価値観の違いと、それに伴う社会全体での摩擦を生んでいるのではないかと考えるようになりました。

例えば働き方に関して、それぞれの世代で価値観は異なっているように感じます。

昨今の状況からして、若い人になればなるほど他の国の働き方知っている、あるいは人によっては他の国で働く可能性を見出していて、そこに先に述べたようなそれまで日本で暮らしてきた境遇や自身の将来とが相まって、より高い年齢層の人達とは明らかに異なる価値観を基盤に、働くことに対するモチベーションを持っているように感じます(この辺の話はまた別記事でしたいな考えてます)。

 

もちろんこういった、世代間における価値観のギャップは、日本に限らず他の国人達に聞いても認めていることですが、欧米諸国はあくまで、彼らが元来持つ思想をベースにした上での価値観の変化なので、日本のようにそもそもの土台が違うものの間で起きている価値観の衝突とは話が違ってくるのかもしれません。

 

少し大袈裟かもしれませんが、日本は今、明治に国を開いて以来の、大きな過渡期なのかもしれません。そしてまたその原因は、江戸末期あるいは明治初期と同じ欧米諸国を中心とした抗うことのできない世界の流れと言えるのかもしれません。

ただ、それはどちらの国の思想、文化、価値観が絶対的に良いとか悪いとか言えるような、そんな単純なものではないようにも思います。

あくまで双方の思想や文化などを、今と未来を見据えた上で改めて相対的に見直し、個人レベル、組織レベル、国レベル、様々な規模においてどう対応していくのかを、より一層考えていかないといけない時代なのではないでしょうか(まぁ、こうやって大口叩くのは簡単なんですけどね…)。例えば個人レベルで言えば、日本を去って働いたり、生涯を終えたりする選択肢だって存在するわけです。しかし、自身が生まれ育った国で染み付いた文化、多数派の価値観や精神といったものが、多かれ少なかれその選択や決断と衝突するのが常です。特に日本人は歴史的な側面等々から見て、その決断に踏み切らいない人が多いのかもしれません。

 

「世界は狭く、複雑である。」

 

この短い期間の中でも、この一言をある時から痛烈に感じるようになりました。

そして、日本に帰った後で、この言葉が自分の中でどのように変化していくのか、楽しみな部分もあります。

 

とりあえず残りのこっちでの生活の中で、今回書き連ねたことに対して、より具体的な考え方や個人レベルで取るべき行動に少しでも近づけたらなと思いながら過ごす、そんなある日の日曜日なのでした。

 

ではまた~。

Tschüss!

 

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参考文献・記事

[1]Wikipedia日本』 2017年7月9日 閲覧

[2]Wikipediaバイエルン王国』 2017年7月9日 閲覧

[3]Wikipediaバイエルン州』 2017年7月9日 閲覧

[4]Wikipediaドイツ帝国』 2017年7月9日 閲覧

[5]https://volks-bundesrath.info/ 2017年7月9日 閲覧

[6]和辻 哲郎 著『風土ー人間的考察(電子書籍版)』 岩波文庫

P.S. 毎回、参考がネット記事ばかりで説得力ないように感じるので、少しずつでもきちんとした知識をつけていきたいものです