工業大学生のドイツ修行記

ドイツの大学に留学した工業大学生の備忘録のようなもの

Berlin, die moderne Geshichte vom Deutschland: Nr. 3

Grüß Gott!

しばらく続いたベルリン探訪記もとりあえず今回で最後です。

(第1回,第2回は以下からどうぞ)

himazin-deutschland.hatenablog.com

himazin-deutschland.hatenablog.com

 
今回はベルリンに訪れて発見した興味深かった残りのものをハイライトでお届けします。

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ベルリンの街中、特に旧東側に行くとこんな感じの不思議な形の歩行者用信号をたくさん目にします。
これはAmpelmann(アンペルマン。直訳すると信号男。)といって、東西分裂時代に東ベルリンで誕生した歩行者用信号。
ベルリンの壁が崩壊し東西統一後、旧東ドイツが生んだ生活用品やインフラは旧西ドイツの物に移り変わっていきました。しかし、1996年にAmpelmannのデザインにひかれた旧西ドイツ出身のデザイナーによってふたたび脚光を浴び、こうしてAmpelmannは復活を果たしたのです。

(引用: AMPELMANN JAPAN SITE【アンペルマン日本公式サイト】 )

そんなAmpelmannは今やベルリンを代表する人気者。ベルリン市内にオリジナルグッズを売っているショップもいくつかあります。

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ここの面白いところはモンゴルやオランダなど世界各国の歩行者信号機の実物を展示しているところ。ドイツにいながら他の国のことも学べるのは非常に興味深いですね!日本の歩行者信号も展示されていて、帰国より先に思わぬところで歩行者信号と再会することとなりました笑

ちなみに日本にもAmpelmannのショップがあります。
ぜひAmpelmann Japanのホームページでチェック見てください。

 

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さて続いては、東西分裂期から少し遡って、第二次大戦の時代へ。

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こちらはベルリンの中心から電車に乗って数十分行ったところにあるBerlin-Grunewald駅。ここには第二次大戦中にナチスホロコースト政策として、ユダヤ人を各収容所に送るために使った列車の線路の一部が残されています。

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プラットホームから階段を下りて通路に行くと、不自然なレンガの壁と2段しかないステップが…明確なことは分かりませんが、元々はこの壁の向こうにも”プラットホーム”があったのでしょうか…リアルです。

2枚目の写真が当時使われていた”プラットホーム”の中で唯一残されているGleis 17(17番線)です。ちなみに今はこの駅は(たしか)4番線までしか電車は走っていません。

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階段を上がると、線路の先が木々で覆われたプラットホームが現れます。私より前に訪れた方が手向けたものであろうヒマワリが1輪置いてありました。

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このプラットホームは大体100mほど続いているのですが、このホームの上に敷かれた鉄のプレートには、この駅から何年何月何日に何人のユダヤ人がどこの強制収容所に送られたが、1枚1枚に刻まれています。こうした自国の負の記憶を忘れない取り組みにも感銘を受けますが、それ以前にこのような記録を破棄せずきちんと残し続けてきたことに驚かされます。

しかしながら、このような記憶を残すことは、未来に向けて継続した残す努力が不可欠であることも知らされました。
私がここを訪れた時、朝早かったこともあり他の見学者はおらず、そこにいたのは1人の40,50代くらいの女性でした。
女性はたった1人で、この100mにもわたるホームに敷かれたプレートの隙間から生えてくる草の草むしりをしていたのです。
正直この記念碑が今どのような形で管理されているのかは分かりませんが、誰かがこうして残す努力をしなければ、このように形として残された記憶もあっという間に忘れられてしまうのだなと思うと、非常にやるせない気持ちになると共に、他にもたくさん存在する受け継いでいかなければいけない人間の歴史を自分はどうやって残す努力をすることができるのかなと考えさせられました。
そういった意味では、このブログが少しくらいは記憶の忘却を防ぐものに役立てば幸いです…

 

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最後に、時代は現代に戻ってきます。
私がベルリンを訪れた時の数週間後に、ドイツは国政選挙を控えていました(この時はあんな結果になると予想していた人は少なかったかもしれません…)

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こちらがベルリン中央駅のすぐ近くにある、Bundestag(ブンデスターグ/ドイツ連邦議会)です。
選挙前ということで、建物の前には多くのテレビクルーが来ており、報道やインタビューなどをしていました。
ちなみに、屋根の上に見えるガラス張りのドームは事前に申し込みをしておけば中に入ることができます(私はベルリンに着いてからそれを知ったのでチャンスを逃しました…)

そんな連邦議会のお隣で夕方から非常に興味深いイベントをやっていました。

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選挙前に、観光客も含め多くの人達に政治に関心を持ってもらおうという狙いでしょうか。連邦議会のお隣にある建物に取り付けられた大きなスクリーンに、数10分にわたってドイツの近現代政治史(19世紀後半のドイツ統一から現代まで)を紹介するムービーが流れてました。
第一次大戦、第二次大戦、東西分裂と統合を経験してきたドイツの怒涛の歴史と、そこからつながる今が非常に分かりやすくまとめられていました(英語の字幕もついてました)。
私はこれを見て、日本の近現代史に関して中学生以来まとまって見聞きする機会が圧倒的に減っているなぁということに気づきました。中学校や高校の日本史や政治経済の教科書を、中高を卒業して何年も経った今だからこそ読み直すことは、非常に意味のあることなのかもしれません。日本でも国会の見学ツアーなどに行くとこういうショートムービーはあるのかな…選挙前にこういう動画を人目のつきそうなところで流すのは、何かしら効果があるのかもしれませんね。

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ということで、3回にわたってベルリン探訪記をお伝えしてきました。
私が留学していたミュンヘンとは異なり、首都ということもありドイツ全体に関する政治的な側面を垣間見る場面が多かったように感じます。

ベルリンを歩きながら、「明治時代、ドイツをはじめとした欧米に視察に行った日本の歴史的人物たちも今の自分と同じような気持ちを抱えていたのだろうか…」と考える瞬間が何度かありました。
もちろん、明治時代と現代、それぞれが抱えている(抱えていた)問題や状況は異なっていますが、世界的に様々な側面で劇的な変化が押し寄せている現代において、今の日本に、日本国民に明治期のような情熱や焦りはあるのでしょうか。
大量情報社会、選択肢の多様化、国家と個人の解離などが進む中で、私たちは何を信じ、何に頼り、何に向かって生きていけばいいのか。
個人レベルでも国レベルでも、まだまだ答えは出ませんし、そもそも絶対的な唯一解はないと思います。しかしながら、思考しその考えを他者と共有し、また自分も他者の考えに耳を傾けるという、一見当たり前のことを、この時代だからこそ大切に生きていくことが求められているのように私はひしひしと感じています。

それではまた、次回お会いしましょ。
Tschuss!