Osternurlaub Nr. 2: Köln
Grüß Gott!
授業が始まったり、研究に没頭してたりで、前回からだいぶ間が空いてしまいました…
そんなこんなで、5月に入りました!日本は梅雨に入る前だというのに、早くも暑い日が続いているようですね。
一方のミュンヘンは、この時期は雨が降ったり止んだり、、、1日どんよりしている日が数日続くことも珍しくありません。南にアルプス山脈を代表する山々が連なっているため、そのような気候になっているとか、なっていないとか(雑)
これには私の周りの他のヨーロッパ諸国からきている人たち、特にドイツ以南出身の人たちはうんざりしているようです笑
さて今更ですが、せっかくなのでさらっと前回の旅行記その2をお伝えしていきたいと思います。
ちなみにその1は以下から飛べます〜
himazin-deutschland.hatenablog.com
コメントをくださった方もいらっしゃって、こんな半分くらい私の日記みたいなブログでも読んでいただけてること、大変嬉しく思います。ありがとうございます。
ということで、第2の目的地ケルンに到着です(恒例の駅舎の撮影をしそびれる痛恨のミス)。
復活祭の時期ということで、写真の奥にはイースターエッグを模した大きなフラワーアレンジメントが鎮座しておりますね。
(そういえば話はそれますが、アーヘンのホテルに泊まった時、朝何気なくテレビをつけたら、工場で大量の卵が機械でペイントされ、イースターエッグになって出荷されていく様子が映ってて非常に印象的でした笑)
さて、まずご紹介しますはケルンの代名詞でもある大聖堂です。ベッタベタのレポートですね()
写真からお分かりの通りとても大きいですね(しょぼいコメント) 地上にいる人たちと比べていただいたり、左上の塔が写真に入り切っていないのを見ていただければなおのことその大きさがわかるかと思います(伝われ)。
復活祭の時期ですし、ドイツでも有数の大きなカトリック教会ということで、何か特別なことをやっているのかと期待して行ってみたのですが、そんなことは全然なく、普通に観光客がごった返しているだけでした……(もちろんその中でも、復活祭であることを理由にきちんと祈りを捧げにきた方々がいたのは確かです)
私のリサーチが甘かったのもありますが、やはりだいぶ観光地として開けているところなんだなという印象でした。大聖堂はあまり取り上げても、ありきたりなのでこれくらいにします()
==
それから、ドイツに来る前からケルンに行ったら必ず飲みたいと思っていたのがこちら。
はい、私の大好きなビールです笑 ただ、ケルンのビールはミュンヘンのビールと味やスタイルが違います。
ケルンのビールはKölsch (ケルシュ)と呼ばれていて、苦みや刺激が弱く、すっきりと飲みやすいのが特徴で、また写真のような200mlくらいの小さなグラスに注がれて提供されます(一方ミュンヘンの人たちは1Lのグラスでビールを飲むのであった……)。
またビアホールで飲む場合は、グラスが空くとすぐに店員さんがケルシュの入った新しいグラスを持ってきて交換してくれます。その際、コースターに何杯目なのか印がつけられます。もう飲まない場合はコースターをグラスの上に置くのがルールとのことです。あいにくビアホールは連休ということもあり、どこもいっぱいだったので、実際にこれを体験できなかったのは残念でした……
ドイツのビールは、各地域でブランドや成り立ちが異なり、実はそういったところでも突き詰めてみると、歴史を感じたりできるんですね(例えばミュンヘンだと、元々は教会が醸造していたブランドなんかもあったりします)
==
ここからは割と偶然見つけて訪れた場所をいくつか
こちらは、前回の記事でも少し説明したシナゴーグ(ユダヤ教の教会)です。今回こそは少し中をのぞけるかなと思って訪ねてみたのですが、復活祭期間の日曜の朝ということで、礼拝がちょうど始まる時間で中に入ることはできませんでした。ですが、写真を撮ったり建物を外から眺めている間も、たくさんの人たちが中に続々と入っていくのを見て、ここでも現地の人々の暮らしぶりを多少ですが垣間見ることができました。
ちなみに・・・
写真の右側に停車している車、みなさんおわかりでしょうか。これ、パトカーなんですね。最初前を通ったときは、「こんな木陰で停まっているなんて、取り締まりしている日本の警察かよw」とか思ってしまったのですが、違いますね。復活祭の時期を狙ってシナゴーグに万が一のことがないよう警備しているんですね。まだまだ、自分のそういった面での知識や情勢に対する認識が甘いなと痛感する瞬間でした。
==
それからケルンにはとても大きなモスクもありました。
こちらも閉まっていて中に入ることはできませんでしたが、かなり大きく立派なものでした。きっとそれなりに昔からイスラム教の信者の方々がここで暮らしているんだと思います。
ヨーロッパのみならず、日本にいても、宗教的な建物を観光で訪れる時、わけも分からず「わぁ~、すご~い、きれ~い」とか言って、写真をパシャパシャ取って、満足して去ってしまいがちですが、やはりその建物や内部の装飾が宗教的にどのような意味合いや立ち位置であるのかをよく理解し、その土地で”過去”にどういう宗教的な対立や動きがあったのか(キリスト教1つとってもいくつかの宗派がありますからね)や、異なる宗教観や人々の流れが今どのようにバランスを取って成り立っているのかを知ることは、”今”の世界(日本も含む)のことを深く考えるためには重要だなと、一層感じております。
==
それからこんな所もたまたま見つけました。
『広島‐長崎公園』と名づけられた公園です。看板の下段に小さく、「8月6日広島に、8月9日長崎に落とされた原子爆弾は、第二次世界大戦における非人道的終結だった。」と書かれています。どういう経緯でこの名前がこの公園に付けられたのかは正直未だわかっていないのですが、少なくとも広島、長崎に落とされた原爆の追悼の念がこもっていることは確かだと思います。当たり前のように小中学生のころに、「戦争中に日本に原子爆弾が落とされました。」と、正直なんの実感もわかないまま教えられたわけですが、お恥ずかしながら広島も長崎もいまだ訪れたことがない自分がいて、自分の国の歴史(ましてや近現代の話)の見直しが足らないなと感じました。(一方でただ単に”知る”だけで終わりにしてしまうのも情けない話だなとも思ったりもしますが…)
==
それから、私の留学の1つの目的でもあり、たびたびこのブログでも取り上げているドイツの戦争関連の話。旅の最終日、月曜日に博物館めぐりをしようとしたものの、月曜日は一般的に博物館・美術館が閉まっていることをすっかり忘れていて、一か八かで訪れて中に入れた博物館がこちら。
”NS Dokumentationzentrum” こちらは第二次大戦前から後にかけてのナチスと台頭と敗戦までに関する資料が展示してあります。実はこの博物館、ミュンヘンにもありまして、すでにそちらも訪れております。ただこちらでは、フランスとの国境近くにあり、ナチスにとって西側に攻め込むための要とされてきたケルンにおいて、どういう政治的・軍事的な動きがあったのかというのを主に紹介しておりました。
また、この建物も当時のナチス秘密国家警察(Geheime Staatspolizei)、通称ゲシュタポ(Gestapo)が独房として使用していた建物で、内部はコンクリートがむき出しで、通路も狭く、薄暗い感じで、なんとも異様な雰囲気でした。
展示されている具体的な内容としては、ケルンとその周辺におけるナチスの勢力拡大の流れ、Hitlerjugendと呼ばれるナチスによる青少年教育に対する政策、強制労働やユダヤ人の迫害、戦争で倒壊したケルンの街並み、などが当時の写真や資料で詳しく説明されていました(ただこういう時にドイツ語が堪能じゃないのが本当に悔やまれます)。
今までの記事でも見てきたように、本当にドイツにあるいたる街(私が訪れてきた場所がそうなのかもしれませんが)に戦時中の出来事に関するものが多くみられます。いかにナチスによる政治的・軍事的政策やプロパガンダが徹底してドイツ全土に広がっていったのかというのを、思い知らされますね。
==
はい、今回もざっくりですが、短い時間の中でケルンで見つけた印象深いものをピックアップしてみました。他にも調べれば今回私が訪れることができなかった有名な博物館や史跡などがあると思いますので、興味ある方はぜひ調べてみて、もし面白そうなものがあれば教えていただけると、インタラクションが成立して、これを書いている私としても嬉しいです。
たぶん、次回は時間見つけてくそまじめなこと書くつもりです。あんまりまとまった文章になる気はしませんが…
ではでは
Tschüss!