元工業大学生のドイツ修行記

ドイツの大学に留学した元工業大学生の備忘録のようなもの

Wir sind Samurai: Nr. 3

Grüß Gott!

3月になりました!相変わらず更新がマイペースです。

前回の続きを書きます。

 

himazin-deutschland.hatenablog.com

 ↑前回を読んでない方はこちらを先にどうぞ。

 「そんな時間ねぇよ!」って方のために、ここまでの内容を超要約すると、

*現代日本人は平安後期からの培われた侍精神を引き継いでいるんじゃね?

*侍精神は主に「修行精神」と「固い主従関係(とその根底となる道徳観、忠・恩・義理など)」から成るんじゃね?

*元来の日本の主従関係はいわゆる「御恩と奉公」という主従間のwin-winの関係からなっていたはずでしょ!

ってことです。

 

さて今回はこの侍精神の今とこれからについて、私個人が考えていることについて書いて、とりあえずこの話は(ようやく)終わりにしたいと思います。

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 平成の侍の私たち。平成が終わろうとしてる今、その精神はどうあるべきなのか。

しかし、こう書き始めてみると世界各国における経済・歴史・雇用・働き方の実情に関して知らないことが多すぎて抽象的なことしか書けず、すでにこの時点でめげそうです( ^ω^)・・・まぁ、若造の妄想だと思って読んでください()

 

さて、平成というワードを出しましたが、舞台は戻って幕末から明治初期にかけて。

 

幸か不幸かアメリカの黒船がやってきたことによって、日本は危機感を覚えて、欧州列強に追いつくために動き始めました。

武士が権力を持つ時代は終わり天皇を君主とした内閣制度が発足しました。武士だった者たちは、その権威の証明だった刀の携帯を禁じられ、かつて武士であったお墨付きも与えられたものの戸籍上の形式的なものに過ぎませんでした。

また経済活動も、地租改正をはじめとする法的保護、円と中央銀行の導入、国を挙げての工業化の促進など、様々な実的変化により資本主義社会への土台が整えられました。

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               黒船来航~

 

 かくして日本は、150年前に武士が国を治める時代を終え、”近代国家”として生まれ変わり現在に至るのですが、果たしてその実政策や実経済体系の真の土台はどこにあるのでしょうか。

 

ここで、資本主義社会が最初に成立した欧州にも目を向けてみます。ざっくりと資本主義社会に至るまでの流れを日本と欧州で比較するとこんな感じでしょうか。

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ここで私が特に考えたいのが日本と欧州それぞれにおいて、誰が資本主義社会を拡大させる中心であったかという点です。

欧州では、貴族とも、年貢を納めていた農民たちとも異なる、ブルジョワジーと呼ばれる市民階級が台頭します。そして彼らが絶対王政を打倒するために市民革命を引き起こす原動力になったと言われています。その後ブルジョワジーは産業資本家として力をつけ、資本主義が社会基盤となったわけです。すなわち、(経済的格差はあれど)市民が資本主義社会を生み出す中心であったと言えると思います。

 

一方で日本における、”資本主義社会”の成り立ちの中心は明治政府です。では、明治政府を作り上げた人たちはどのような人たちでしょうか。

木戸孝允大久保利通西郷隆盛伊藤博文……多くの明治政府を作り上げた人たちは(薩長を中心とする)元武士の人達です。

ここからは私の妄想ですが、武士だった人たちが欧州列強に負けないために新体制を敷いたとしても、元々持っていたであろういわゆる「武士道」をどこまで捨てて欧州発の様々な制度や概念を整えられたのかは疑問が残ります。

つまり資本主義社会がボトムアップ的に拡大していった欧州と、トップダウン的に(ある種形式のみが)拡大していった日本とでは、「資本主義」そのものに対する何かしらの認識や意識のずれがあるのではないか、というのが私が考えている妄想です。

そしてこのギャップは埋まらないまま、平成も終わる今に至るまで産業活動が行われてきたのではないか、というのが私のさらなる妄想です。

 

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典型的な日本の産業活動におけるイメージや慣習と言えばなんでしょうか?

例えば、

年功序列

*終身雇用

長時間労働

これらが美徳とされる精神的由縁はどこにあるのでしょうか。私はここまで書き連ねてきた侍精神あるいは「武士道」にこそその由縁があると思っています。

上記の項目で言えば、

年功序列 ⇔ 「忠」

*終身雇用 ⇔ 労働者目線での「忠」であり、雇用者目線での「御恩」

長時間労働 ⇔ 「修行精神」

という風に置き換えられないでしょうか?

 

この産業構造は明治期、戦後、高度経済成長、バブルという時代の変遷の中で上手く機能し、日本を経済的にも、技術的にも、ここまで発達した国に押し上げたというのは確かに事実です。そしてまた、経済や人々の暮らしに平均的に高い安定性をもたらしている要因の1つではないかとも考えています。(例えば他の先進国と比較した時の失業率の低さなどがそれを反映している一面ではないでしょうか。)

しかし、少子高齢化が原因で労働人口も減り、また世界の動向が予測しにくくなってくると言われている今後において、この体系はどこまで通用するのか、私は疑問視しています。

労働人口減少への危機感、デフレからの脱却、労働賃金の底上げ、働き方改革…そんな経済活動に関する諸問題がようやく近年大々的に取り上げられるようになってきたのかなぁと若造なりに感じたりしていますが、本来の資本主義を「武士道」と分離させて考えない限り、大きな変化はあり得ないのかもしれないとも感じています。なんせ900年の積み重ねが私たちの中で息づいているんですから、それを国家レベルでいともたやすく捨てるなんて生半可なことじゃないです。

仮に「武士道」を捨てないのであれば、それはそれでかつては産業活動の中でも機能していたであろう主従(経営者と労働者)における「御恩と奉公」というwin-winの関係を今一度時代の状況に合わせて両サイドが一緒になって考えていかなければならないとも思います。例えば、いわゆるブラック企業というのは、労働者の「忠」を逆手に取ったものであり、資本主義と「武士道」の間で生じてしまった矛盾と言えるのではないでしょうか。

 

とは言っても、もちろん「武士道」という概念的なものだけが、今の日本の産業活動の先行きを不安定にさせているとは思いませんよ。というか、かなり私の個人的な妄想に近いです。

しかし今、かつては経済活動が活発でなかった非西洋諸国が日本の経済力に迫る勢いで成長している、あるいはすでに追い抜いてしまっているのが現状です。そのような状況で、西洋に追いつけという一辺倒でやってきた日本は、今の世界の現状を踏まえた上で改めて自分たちが何者なのかを考えないといけないように私は感じています。

 

ドイツにいた時、ある東ヨーロッパの国出身の学生と飲んでいた時、お互いの国の情勢の話になりました。彼は、「俺の国は(某大きな国)に侵略されないよう、日々必死だ。」と割と真面目な顔つきで私に語ってくれました。そしてその後、私にこう聞きました。

 

「日本は今、何のために頑張っているんだい?」

 

…日本は今、何のために、何を頑張れているんでしょうか。

 

それでは、また。

Tschüss!