Wir sind Samurai: Nr. 2
Grüß Gott und Frohes Neues Jahr!
前回の投稿からまたうんと時間が経って気づけば年が明けてしましました笑
さてみなさん、以前私が書いた「現代日本人は未だ侍だ!」という話覚えてますでしょうか? 書いたのが昨年の10月でだいぶ前だったので自分でも何か書いたか忘れたので読み直しました…笑
超端的に説明すると、私たちの中には約900年前に育まれた侍としての生き様が、今なお息づいてるのではないか、というお話でした。その中でも前回とりあげたのは、「修行精神」でした。
そして今回は、武士道においてまた別の重大な心構えであろう「忠(あるいは忠義)」と、そしてそこから生じ得る「恩」と「義理」について、現代日本人の暮らしに今なおどのような影響を与えているかを考えてみます。
改めて私たちが何者なのか考えてみましょう
「忠」、「恩」、「義理」の心構えは未だ意識的または無意識的に私たちの心の中に据えて生きていると私は感じます。そしてこれらのある種の伝統が今の時代において(特に資本主義社会を生きる私たちにとって)、幸か不幸か上手くいかなくなっている側面があるのではないかと考えています。
まず、「忠」、「恩」、「義理」のそれぞれの辞書的な意味合いを見てみましょう。
- 忠
- 人との約束や職務に対して責任を持った言行をすること。
- 自己の属する主君・主人・国家に対して果たすべき任務を尽くすこと。
- 恩
目上の人が相手のためを思って純な気持でする、情け深い言動(と、それに見合う物質的な充足)。
- 義理
- 自身の利害にかかわりなく、人として行うべき道。特に、交際上、いやでも他人に対してしなければならないこと。
- 自分から進んでそうしようというのではなく、単に義理を果たすためだけにするのだという気持ちを表す。
- 血のつながりは無いが、配偶者や養子縁組の子供などを血縁者とみなすことによって生じる続き柄であること。
侍(あるいは武士)の起源は諸説あるようですが、いずれにせよ朝廷や下級貴族など、当時の政治的な権力との関わり合いは見られるようです(勉強不足ポイントその1)。
(参考)
そのような関係性の中で、武士は個人としても組織としても次第に力も持ち始め、規模も大きくなっていく中で、ある1つの概念が構築されます。それが「御恩と奉公」と言うものです。小学校の歴史の教科書にも出てくるワードですね(私が小学生の時の話ですが…)。ウィキペディアフリー百科事典には以下のように説明されてます。
『御恩と奉公(ごおんとほうこう)とは、中世の日本において、主に武士の主従関係を構成した要素・概念。中世の武士間の主従関係は、決して片務的なものではなく、主人・従者が相互に利益を与え合う互恵的な関係で成り立っていた。ここで、主人が従者へ与えた利益を御恩といい、従者が主人へ与えた利益を奉公といった。平安時代中期~後期から武士層に「御恩と奉公」の関係が徐々に形成されていたが、本格的に「御恩と奉公」が成立したのは、源頼朝が関東武士の盟主=鎌倉殿となってからである。以降、御恩と奉公の関係性は、鎌倉幕府の成立基盤として機能し続け、その後の室町幕府や江戸幕府にも引き継がれた。』(引用元:御恩と奉公 - Wikipedia )
ここで注目したいのは、主従関係とは言いながらも、どちらの側にとってもwin-winの関係であるということが読み取れる点です。君主からの「恩」がきちんとある状態と言えるでしょう。
その後、江戸時代に入り武士の間に儒教(あるいは儒学)を学ぶことが嗜みとなります。そしてこの儒教の中で大事にされている、「仁」、「礼」、「誠」といった様々な要素が単なる政治的な存在、あるいは一つの階級に過ぎなかった武士という存在を、より社会的・道徳的規範とする存在に押し上げたのではないかと私は考えます(儒教が元々説いている意味合いやニュアンスを、武士の世界をより秩序だった強固なものにするために、”引用した”と言った方が正しいのかもしれません……)
「仁義」の基に行動をする。
「忠義」を持って自身の君主に仕える。
「礼」を重んじて正しき作法を修め、心身を磨く。
そのような振る舞いが、国を動かす人々のあるべき姿となったわけです。
そして江戸時代に培われたこの精神は、明らかに”西洋化”された明治以後の日本に引き継がれています。そうでなければ、明治時代にかの新渡戸稲造は、世界に日本がなんたるかを示すために、わざわざ英語で『武士道』という本を書かなかったのではないでしょうか。
彼はこの著書の中でこのように述べています。
『義は武士の掟中最も厳格なる教訓である。武士に取りて卑劣なる行動、曲がりたる振る舞いほど忌むべきものはない。』
『人格的忠誠はあらゆる種類および境遇の人々の間に存在する道徳的結びつきであることを、私は知っている。(中略)自己の血をそそいで言の誠実を表し、これによって主君の明智と良心に対し最後の訴えをなすは、武士の常としたることろであった。』
(引用:『武士道』 新渡戸稲造 著 7Luck.,Co.Ltd 発行)
あぁ、いかにも私たちが思い描く武士らしさだなぁ、と私は個人的に思います。
(もちろん他にも要素を踏まえて、当時の日本人の道徳観という観点と絡めて様々な武士道を語っています。私のように電子書籍でも低価格で買えますので、興味ある方は読んでみてはいかがでしょう。私もドイツ滞在中に読んだのでだいぶ内容が抜けてて、もう一度読み直さないと…)
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では、時代を進めて第2次大戦から70年以上が経った今、この長年の歴史の中で培われた精神はどこに息づいていて、どんな利益、あるいは不利益を被っているのでしょうか。
そんなことを私がドイツ滞在中から考えてること、あるいは少し視点を変えて(?)キャピタリズムの成り立ちなんかを考えながら、次回以降また書きたいと思います。
あー、次この話題ちゃんと書けるのいつだろ…()
なる早で書きますね(書くとは言っていない)
ではまた!
Tschüss!